400年の歴史を持ち世界にもその名を知られる阿波おどり。
徳島藩祖・蜂須賀家政が天正14年(1586年)に徳島入りし、
藍、塩などで富を蓄積した頃からといわれ、
その後、藍商人が活躍し、年を重ねるごとに阿波おどりを豪華にしていきました。
なお、現在の阿波おどりは、
毎年8月9日に開催される「鳴門市阿波おどり」を皮切りに徳島県内各地で開催されますが、
最も賑わいを見せるのが毎年8月12日から8月15日の4日間開催される徳島市の阿波おどりです。
(徳島県情報サイト 阿波ナビより)
平成28年の阿波踊り初日
今年も孫の踊る新町小学校地域の児童館から出るモラエス連を見に行きました。
新町小学校にあるモラエス像
以下、ポルトガル大使館HPより転載
1854年 5月30日、ポルトガルのリスボンに生まれる。
1875年、海軍兵学校を卒業して海外の植民地に勤務した。
1885年、初めてマカオに渡る。マカオ港務副司令官と同時に高校教師も勤めた。
マカオ滞 在中には現地女性の亜珍と結婚し2人の子どもをもうける。この間、
ポルトガルの詩人カミーロ・ペサーニャと親交を結ぶ。
1889年、初来日、以後しばしば日本を訪れた。
1898年、マカオ港務副司令官を最後に退役、
日本に移住して神戸・大阪ポルトガル総領事を務めた。
領事時代、徳島出身のおヨネと知り合い結婚。おヨネの死後、
1913年 徳島に移り住んだ。徳島の豊かな自然や市井の生活を愛し、
おヨネの姪斉藤コハルを愛したが、コハルにも先立たれ、孤独な晩年を送った。
日本を紹介したエッセイを数多く書いて祖国ポルトガルに送り続けた。
『大日本』『日本通信』『徳島の盆踊り』『日本精神』など多数の著作を残し、
文学者として高い評価を得ている。
1929年7月1日、徳島市伊賀町の自宅で死去。行年75歳。
12日(初日)を祝ってブルーインパレスが爆音を轟かせて飛んできました。
大空のキャンパスに飛行雲のみごとな絵を描き10分間のショウを楽しみました。